社内報 Vol.26

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社員インタビュー

小野田 純也
おのだ じゅんや

店舗ここすもハウス豊川中央店

役職施工管理

ここすもハウスデザインズの小野田純也のモットーは唯一無二。自分でなければできない仕事を追求しているなかで「こだわりの家づくりの楽しさをもっとたくさんのお客様に知っていただきたい」と語る小野田のこれまでの軌跡を追いながら、彼が仕事にかける情熱の源泉を探った。

自然な流れで足を踏み入れた住宅業界

愛知県新城市出身。大学進学を機に群馬県へと拠点を移した小野田にとって、家を建てるという仕事は小さい頃から身近なものだった。自身で立ち上げた建築事務所で働く親の背中を見て育ったためか、設計図面がすぐ近くにあるのが当たり前だったそうだ。
大学では建築こそ学ばなかったものの、就職先を考える上で頭に浮かんだのが「住宅業界」だった。
「大学卒業後は公務員になろうと思っていたんです。試験にも合格していたのですが、やっぱり家づくりを仕事にしたいという想いが捨てられなくて…。結局公務員にはならず、住宅営業の仕事に就くことにしました」

行動指針は唯一無二という言葉

住宅営業として働き始めた小野田は、ほどなくして社内でも指折りの成績を残すようになった。年間10億円規模の売り上げを叩き出していた小野田だが、次第に物足りなさを感じるようになったという。

「住宅営業の仕事は、お客様と直接お話をする大切な仕事。やりがいもありましたし、周囲からも認めていただいていましたが、自分のような営業マンは周囲にたくさんいるという気持ちが強くなっていったんです」

自分だけの仕事とは?と考えた結果、小野田は現場監督の仕事をさせて欲しいと会社に交渉。住宅営業から現場監督へと転身したのだった。家づくりの現場で施工計画づくりから工程管理、品質管理、そして職人さんたちを取りまとめるなど多岐にわたる現場監督は、家づくりに置いてなくてはならない存在だ。現場監督の仕事の良し悪しが、家の仕上がりに大きく影響するといっても過言ではない。だからこそ、小野田はその仕事に「自分でなくてはできない仕事だ」というやりがいを感じたのだった。
小野田の好きな言葉は唯一無二。他に並ぶものがないという意味を指す四字熟語が、人生の行動指針となっていた。

夢のおてつだいに出会うまで

その後、最初に就職した会社を辞め、仲間と起業。家づくりに奔走していた小野田だったが、あまりの忙しさによる体調不良と会社の資金繰りの問題から、会社をたたみ実家である愛知に帰郷。数社で働く中で現場監督としての仕事に加え、中古マンションのリノベーション事業立ち上げなども経験した。
「もちろんやりがいはどの仕事、どの職場でもありました。でも、私自身も会社経営を経験し、多くの経営者を見てきましたが、この人だ!と思える人との出会いはそれほど多くありませんでした。経営陣から『うちの会社、これからどうしたらいいかな?』と聞かれることもあって…。経営者であれば会社の軸となる方針、指針はしっかりと示して欲しいし、示すべきだと感じていたんです」

そんな思いを抱える中で出会ったのが、株式会社夢のおてつだいの山佳社長だった。
「山佳社長が掲げる考え方と、私の考え方が同じだっただけではありません。働く人は会社の財産、だからこそ人材を育てるべきと語る山佳社長の明確なビジョンとその想いの強さは社風にも現れていました。だからこそ、今まで培ってきた経験がここなら活かせると思ったんです」

もっとこだわりの家づくりを

「ここすもハウスで働くようになって痛感しているのは、不動産経由でお客様を獲得できるという集客力です。土地探しから家づくりまで、そして住み始めてからのメンテナンスまでトータルで対応できる体制は、お客様の夢をおてつだいする上でもベストに近いと感じています」

お客様の夢をおてつだいするという仕事は、唯一無二の仕事をしたいと強く考える小野田の考えとぴったり一致していたのだった。
「でも、まだまだ変えたいことはあります。不動産経由でご依頼いただくお客様だとどうしても『こんな家にしたい』というこだわりや、理想の家そのものへの想いがそれほど強くないケースも多いんです。もちろんそれが悪いというわけではありません。でも、もっともっと家づくりを楽しんで欲しい。自分たちだからこそできる家づくりを一人でも多くのお客様に知っていただきたいと感じています」

楽しそうに話す小野田の口調からは、唯一無二を目指す小野田の飽くことのない探求の姿勢が垣間見えるのだった。

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